とっとこぶろぐ@はるたろう

まじめなブログです。

人の優劣について

 

はるたです。

最近GARNET CROWにハマってます。

懐かしいなあーってね。笑

 

 

おすすめの曲あったら教えてほしい。

 

 

世界陸上を見ながらブログを書いてるけど

やっぱ書くのって恥ずかしいなあってなる。

 

 

まあこんなブログを見てる奇特な人は

そうそういないと思うので

つらつら書いていきますよ、ぇー。

 

 

今回は“人の優劣”について

好きな話があるからシェアしようと思う。

 

 

なにかと他人と自分を比べて

へこんだりする人には良い考え方かも。

 

 

人の優劣

 

 

バイトであれ、サークルであれ

会社であれ、友達同士であれ

 

 

ある分野で優れた人、劣った人がいて

自分が前者なら気分が良いし、

後者なら落ち込むことがあると思う。

 

 

他人と自分を比べるのは辞めようって

どこかネットか本かで見たことがあり、

それを意識してそうしないようにしても

自分の中の劣等感は消えはしない。

 

 

誰でも経験あることだと思うし、

一生付き合っていく悩みなのかもしれない。

 

 

中にはかなり深刻に悩んでいる人もいるかも。

自分もその一人でした、と過去形にしたいが

まあまだ無理っしょ。笑

 

 

前置きはこのぐらいにして

本題に入ろうと思う。

 

 

そもそも何かの優劣を決めるには

何かしらの「基準」が必要なことは

なんとなくわかると思う。

 

 

例えば、鉛筆の優劣を決めるには

 

 

長さによって書きやすいとか

濃さによって読みやすいとか

芯の柔らかさで色が乗りやすいとか

 

 

鉛筆を例にあげても無数の基準が存在する。

 

 

ともすれば、人の優劣を決める基準は

もっと膨大に存在すると想像できる。

 

 

例えば、タイピングの速さであれ

テニスのボレーの上手さであれ

スマホの写真の撮り方であれ

お酒の強さであれ、ゲームの上手さであれ…

 

 

人の優劣を決める基準は

ほぼ無限に存在する。

 

 

このことを念頭において

ある人の能力を10段階の評価を行い、

分野ごとに1から10の点数を割り振るとする。

 

 

例えば、得意な分野なら10点とか

不得手な分野なら1点とか2点とか

総合点で人の優劣を決めるとする。

 

 

この評価の結果から知り得ることは、

人の優劣はわからない、である。

 

 

なにしろ基準は無限に存在するので

 

 

たとえ能力の評価が1点ばかりの人でも

 

 

1点を無限回足せば無限

10点を無限回足すも無限

 

 

つまり、どちらも無限になるので

人の優劣は決まらない、ということになる。

 

 

こういうことを書くと、屁理屈ばっかり!!

とツッコミを頂くかも。笑

 

 

まあ屁理屈を許容しても

腑に落ちない人もいるかも。

 

 

確かに人が社会で求められる能力は

情報処理能力とかコミュ力とか

論理的思考力とかが必要とされてるように見える。

 

 

見える、と思うのは時代によって

求められる能力は変わるから。

 

 

例えば、古代ギリシャの時代では

音楽と体育ができる人が優れた人であったらしい

(労働は奴隷に任せていた模様)

 

 

そういうわけで、たまたま今の時代に

求められる能力が、処理力とかコミュ力なわけで

 

 

人類全体から見ると、たまたまそれらの能力が

劣っていてもそんなに気負う必要はないのかも

とか思ったりして。

 

 

それに大学に入って色々な人にあって、

皆んなそれぞれ何らかの面で優れていると思う。

 

 

隣の芝生は青いと言うけれど、

その嫉妬されてる人も嫉妬している他の誰かの

能力に必ず嫉妬していると思う。

 

 

だからまあお互いもっと寛容になれば

もっと生きやすくなるのかも、とか

人生の3分の1を終えて思った次第です。

 

 

 

 

ま、スーパーエリートのこの俺には

全く関係ない話だがな(超ベジータ風)

 

 

笑笑

 

 

いかん、ネタブログじゃなかった。

 

はるたろう